クリティカルマス Critical mass について

バイクサマーはいわばクリティカルマスから派生したイベント。
クリティカルマスについても少し書いておきます。

注)クリティカルマスをどう捉えるかは人によって様々です。
ここの記述はあくまでもサイト管理人個人の考えに基づくものですので御了承くださいませ。


クリティカルマスとは

たくさんの自転車が走って道路が自転車でいっぱいになる事。

 何者かの主催による大きなイベントなどで意図的に自転車を集めるのではなく、自転車での買い物やツーリング、通勤帰りにちょっと寄り道したりといった事が重なって発生するいわば「自転車の交通集中による自然渋滞」のようなものがその道路におけるクリティカルマスだと考えます。

クリティカルマス 本来の意味

クリティカルマスは元々は物理学の用語です。

 原子核が核分裂するとき、そこから新たに2~3個の中性子が飛び出し、それがさらに別の原子核にぶつかって核分裂を起こすというように、核分裂の連鎖反応が起きます。
 このとき核物質の量(密度?)が少なければ、発生した中性子のいくつかは別の物質に吸収あるいは外部に放出され、ある瞬間の核分裂の数よりもそれによって起きる次の核分裂の数が小さくなるために連鎖反応が収まる方向に向かう。しかし核物質が一定量を越えると、核分裂の連鎖が次々と加速度的に増大していき、誰もそれを止める事が出来なくなる。
 この核分裂の連鎖が収束から増大に転じる量を「クリティカルマス」といいます。

経済用語としてのクリティカルマス

 ある商品やサービスの普及率がその一点を超えると普及率が加速度的に一気に跳ね上がる。その分岐点となる普及率のことをクリティカルマスと呼ぶそうです。
 普及率が一定以上になると価格やサービス面での相乗効果が現れてさらに普及が進み、それにあわせて政策や法整備などがとられていくというようにあらゆる意味での転換点となります。

 これを自転車にあてはめると、街中を走る自転車の数が増える事によって交通手段としての自転車が市民権を得て、交通手段としての自転車を考慮した街づくりなどの政策に転じる。その転換点がクリティカルマスといえるでしょう。

自転車のクリティカルマスのなりたち

クリティカルマスの始まりは諸説ありますが、その伝説のひとつはこんな感じです。

 1992年、サンフランシスコで自転車通勤する2人の男が、交通手段としての自転車をアピールしようと思い立ち「毎月最終金曜日の夕方に集まって集団走行しながら帰宅しよう!」と街行く自転車乗りに訴えかけたのが始まり。
 当初「コミュートクラット」と名乗っていたその集まりは、口コミなどを通じて月を追うごとに人数が増え、100人、500人、1000人以上と、誰も統制できない程の規模に膨れ上がり、いつしかその集合体は「クリティカルマス」と呼ばれるようになった。

クリティカルマスの社会的意義

 道路を走る自転車の数が多くなりすぎると、道路が自転車で溢れかえってしまうでしょう。
日本の道路や交通ルールは自転車の事など殆ど考慮されていないので、わずか30台程度の自転車が集団走行するだけで「2段階右折」などの交通ルールは成り立ちません。
 それを見て、異常だ!自転車の横暴だ!と思われるかもしれません。けれど、そう思われた方は街中の道路をよく見てください。道路には自動車があふれかえり交通渋滞さえ起こしている。本来止まってはいけない道路の真ん中を何十台何百台という自動車で埋め尽くして円滑な道路交通を妨害しているじゃないですか!
 そう、まさに今の自動車による日常的な道路渋滞こそが異常なのです。にもかかわらず何故かみんな異常だと感じなくなってしまっている。
 クリティカルマスで自転車の交通渋滞を実現することで交通渋滞の異常さを認識させ、それによって今の自動車交通の異常さを再認識させたいと考えます。

  • 最終更新:2013-05-01 00:41:12

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード